緋色のアリエル 第1話 出奔

 あの時、アリエルは頭に血が上りきっていた。

「そんなこと、聞いてないわ!」
 夕日に照らされた居間のテーブルをバンと叩き、彼女は向かいに座った両親を睨み付けた。
「突然で戸惑うのもわかるが、アリエルにとっても悪い話ではないと思うのだけど」
 父親が説得を試みようとするも、アリエルは自身の緋色の髪と同じくらい顔を真っ赤にして、銀色にも見える灰色の目をかっと見開いた。
「何が悪いかは私が決めます。それができないなら、こんな田舎、出てってやる!」
 そう言い放つと、両親が止めようとするのを振り払って、ほとんど身ひとつで家を飛び出した。
 よく晴れた、ある春の日の夕暮れ時のことだった。



 それからおよそ一日半。夢現だったアリエルは、ゴトンと客車の跳ねる振動で飛び起きた。
 日付が変わっているので、彼女が衝動的に家を飛び出したのはもう一昨日のことだ。考え無しに行動を起こしたアリエルだったが、すぐに夕日に染まる小さな駅舎の向こうに黒い煙がもうもうと昇っているのに気づいた。一週間に数えるほどしか停まらない汽車がちょうどホームにいるらしく、彼女はこれ幸いと発車直前のそれに飛び乗ったのだった。
 アリエルは寝起きのぼんやりした頭のままコンパートメントの中を見た。他に乗客はいない。重いまぶたをこすりつつ窓の外を見ると、わずかに顔を出した朝日が一面の青い麦畑を照らし始めていた。
 昨日は丸一日汽車に揺られ、途中で二回ほど乗り継ぎをした彼女は今、南へと向かっている。目指す先は国内最大の商業都市、玉都だ。政治の中心ではないものの大都市であるこの街は、かつて王族が住んでいた歴史の古い街である。人も物も仕事も集まる玉都は、家出娘が潜伏するには都合が良い街だった。そんな玉都行きの列車だが、早朝便は貨物輸送が主目的なのか、アリエル以外に乗客はほとんどいないようだった。
 彼女はひとつあくびをして伸び上がると、窓枠に手をかけた。少し力を入れて押し上げれば、窓は少し軋んだ音を立てて、思ったより簡単に開いた。
「わあっ」
 爽やかな風が吹き込んできて、アリエルの緋色の髪が乱れる。
 窓から少し顔を出して列車の向かう先を見れば線路のはるか先、汽車の吐く黒煙の向こうに、巨大な白亜の城が朝日で鈍く光っている。今は玉都城と呼ばれる、かつての王城だ。観光地のランドマークとしてきれいに保たれているものの、今は誰も住んではいないらしい。
 アリエルは寝直そうかとも思ったが、しばらくまどろみつつ城を眺めていた。夜の名残のような星がひとつ、またひとつと見えなくなり、空がだんだん明るくなっていく。
 やがて、きいきいと音を立てて列車が減速し始めた。少し遅れて、車掌が鐘を鳴らしながら通路を歩いて回っているのが聞こえた。まもなく駅に着く合図だ。
 アリエルは窓を閉め、家を飛び出す時にひっつかんできたトランクを荷台から下ろす。中にはいくらかの着替えとふかふかのタオル、それから母から貰った古びたラジオを押し込んできた。ポケットには今までに貰った小遣いが入った財布。これらが今のアリエルの全所持品だ。
 もうすっかり頭は冷えたが、アリエルには田舎に帰る気はさらさら無かった。
「まあ、これからどうするかは後で考えるとして」
 小さなトランクをしっかり握り、アリエルは数時間を過ごしたコンパートメントを出た。窓から見える空は、眩しいほどに青い。
 列車がホームに滑り込み、やがて停止する。
「玉都だもん。なんとかなるでしょ!」
 そう言ってアリエルは客車のドアを開け、玉都のホームに飛び出した。



 駅舎を出た瞬間、アリエルはあまりの白さに目が眩んだ。
 隙間無く建ち並ぶ漆喰が塗られた背の高い建物や、広場や通りにびっしり敷き詰められた石畳が、うららかな春の日差しを四方八方から照り返し、まるで自ら光っているようだ。アリエルの生まれ育った田舎の、クローバーがみっちりと生え、轍には土が見えるような駅前とは大違いである。
「お嬢さん、玉都は初めて?」
 つかの間ひるんでしまったアリエルに、男性が横から声をかけてきた。
 顔に手をかざしつつ声の主を見れば、アリエルとそう歳の変わらなそうな青年が、銀色のアクセサリーを地べたに広げて座っていた。青年自身も凝った銀細工のイヤーカフスを身につけている。
「ええ、初めてよ。まさか玉都城以外も全部白いとは思わなかったわ」
「『全部白い』と来たか。直に慣れると思うけれど、まあ、初めて玉都に来た人は、大抵今の君みたいな顔をするんだよね。ようこそ玉都へ。記念にひとつ買っていきません?」
 青年はにこりと笑顔を浮かべて、小ぶりなペンダントをひとつ手に取った。
「もしかして、露天商っていうの? 雑誌に書いてあったけど、本当に道ばたで行商しているのね!」
 アリエルは、彼の笑顔に誘われるように店の前にしゃがみ込んだ。
「ここにあるアクセサリーは貴方が作ったの?」
「うん、僕は五時通りの銀工房の細工師だよ。もっとも、うちの工房のメインの商品は食器で、ここに並んでいるのはほとんど僕の趣味で作った物ばかりだけれど。これとかどうかな、安くするよ」
「綺麗だと思うわ。でもごめんなさい、玉都に来て早々に出費する気は無いわ」
 青年は少し眉を下げて、ペンダントを元の場所に戻した。
「お嬢さん、あんまり財布の口を堅くすると玉都観光は楽しくないと思うよ」
「そうかもしれないわね。でも、観光じゃないから別にかまわないわ」
 あっけらかんと言うアリエルに、青年は意外そうな顔をした。
「おや、それじゃあどこかの家にメイドとして雇われたとかかな」
「なるほど、そういう手があったわね」
「『そういう手』って、そもそもどういう予定で玉都に来たの?」
「玉都で普通に働いて暮らせたらいいなって思っているけど」
「『普通に働く』って案外難しいよ? 頼れる人はいるの?」
「顔も合わせたこと無い親戚っぽい人なら居るかも」
「それじゃこの街で生活していくのは難しいと思うよ」
 青年は肩をすくめた。アリエルも肩をすくめる。
「いろいろ話してくれてありがとう。でも、大丈夫よ」
 アリエルは立ち上がった。
「根拠は無いけど、きっとなんとかなるわ。いろいろ余裕が出来たら、また覗きに来るわね」
「それは嬉しいね。休日の午前は大体ここに居るから。お待ちしています」
 立ち去るアリエルに、青年は軽く手を振ってくれた。

 アリエルはぶらぶらと、つま先の向くまま中央広場にやってきた。
 この中央広場はその名の通り玉都のほぼ中央に位置しており、円形の公園である。広場の中心では大理石の噴水が、高くなってきた日の光を浴びてきらきら輝く水しぶきを上げていた。噴水の周りにはぐるりとベンチが置かれ、何組かのグループがお喋りに興じている。アリエルはその隙間の、玉都全体の案内看板が真正面に見える位置に腰を下ろした。
 玉都には、この広場を中心として放射状に伸びる大通りが十二本あるようだ。北の方角、玉都城に向かって伸びる通りを十二時通りといい、そこから時計回りに一時通り、二時通り、と順番に名付けられているらしい。覚えやすくて結構なことである。大通りにはそれぞれ特色があり、先程の露天商の青年が働く銀工房がある五時通りには、日用品や装飾品などを作る職人の工房が集まっているようだ。
 赤い二階建ての乗り合いバスを待つ人達の行列を尻目に、アリエルは南東の方へ目を向ける。
「五時通りの工房か……」
 案内看板によると、玉都はざっくりと三時通りと九時通りを境に、北半分と南半分で地域が分かれているようだ。玉都城をはじめ、貴族の別邸や王立図書館、美術館などがある北側エリアに対し、南側は庶民のエリアだ。人通りも多く、活気に満ちている。
「工房なら、助手とか弟子とか、人手が欲しいところがあるんじゃない?」
 誰に問うでもなくアリエルはそう呟くと、鞄を片手に五時通りへと向かうことにした。

 五時通りにはアリエルの想像以上にいろいろな工房があった。帽子工房に指輪工房、陶芸工房、ドレス工房、ランプ工房。露天商の青年が働く工房だろうか、銀の鋳造をしているらしい大きな工房もあった。少なくとも、生活していく上で必要になる物は、食材以外なら全てこの通りで揃えられそうだ。
 通りの全長の半分くらいまで見て回った頃には、アリエルはすっかりくたくたになってしまい、街路樹の陰にへたりこんだ。まだ生えそろわない新緑の作る陰は頼りなく、頭上から容赦なく体力を奪う日光を遮るのにあまり役立たない。
 大通りに面して工房を構えるような所は、すでに弟子も助手もたくさん居る大所帯で、新たな人手など求めている様子は見られない。この先の見えなさもアリエルの疲労感を増していた。
「やっぱり無謀だったのかな……」
 アリエルはほんの少しだけやさぐれて周りに視線を巡らし、ふと気づいた。
 大通りに寄り添うような細い路地が建物の裏にあり、そちらにも小さな工房が並んでいるらしい。そちらのアトリエで働いているらしき青年達が麻袋や木箱を抱えて、大通りから裏路地へと忙しそうに吸い込まれていく。
「ああいうところなら、まだ入れる工房があるかも」
 アリエルは気を取り直し、まだ見ぬ可能性に胸を高鳴らせて裏路地に足を向けた。

 裏路地は大通りとは違い、真っ昼間だというのに妙に薄暗かった。道の両側を背の高い建物に挟まれているせいかもしれない。上を見れば、路地を挟んで建物同士の間に紐が渡してあり、洗濯物やら傘やらがぶら下がっている。あんな高いところにも人が生活してるんだ、などとアリエルの目が奪われていたその時。
「うわっと」
 低い声とともに、どしんと何かにぶつかる衝撃をアリエルは受けた。驚いて振り向けば黒髪の男の人が目の前でまさに倒れるところだった。どうもアリエルが突き飛ばしてしまったらしい。アリエルはさっと顔から血の気が引いた。
「すみません! 大丈夫ですか!」
 慌てて助け起こそうとすると、その人は乱暴にアリエルの手を払いのけた。
「触るな!」
 怒鳴った勢いで、彼の黒髪からぱっと甘ったるい香りと小さな雫が飛び散った。転げ落ちた弾みに何か液体を頭からかぶってしまったらしい。
 アリエルはあわてて鞄の中からタオルを探しだし、青年に渡そうとして、はたと固まった。
 さっきまで目の前にいたのは、アリエルより年上らしい男性だったはずである。しかし、今そこに居たのは黒髪の少年だった。着ている服は先ほどの男性と全く同じ物らしく、少年が着るにはずいぶん大きい。
 アリエルは一度タオルに視線を落とし、もう一度彼を見た。やはりぶかぶかの服を着たアリエルの半分くらいの身長の少年がいる。
 何が起きたのだろうか、とアリエルが目を点にしていると、少年はおもむろに立ち上がった。漆黒の双眸をキッとアリエルに向ける。
「前を見て歩け! お上りさんか!」
「はい、お上りさんです! すみません!」
 甲高い少年の怒号に、アリエルは思わず身をすくませた。そんなアリエルを見て、彼は額に手を当てる。
「マジでお上りさんかよ……」
「マジです、ごめんなさい……」
 すっかり縮こまったアリエルに、少年は眉間に深い皺を刻み、長く息を吐き出した。
「とりあえず、こんな所で縮こまるな。場所を変えるぞ、ここだと少々目立つようだ」
 彼は周囲を見回すと、頭をがしがしと掻いた。
 裏路地で元々の人通りが少ないとはいえ、昼間の都会である。脇道の角から、建物の上の方の窓から、騒ぎを嗅ぎつけたらしい野次馬達があちこち顔を覗かせていた。
「付いて来い。あっちに俺の店がある」
 彼は路地の奥を示すとアリエルを目で促し、さっと布を被り、長くなった裾をたくしあげて歩き出した。
 アリエルは、何か面倒なことになった気配を感じつつも、鞄を抱え急いで彼を追いかけた。


 しばらく歩き続けていくと、辺りの様子がだんだんと変わっていく。街の中心部は階層の多い漆喰で塗り固められた建物ばかりだったが、レンガのままの階層の少ない家が増えてきた。だいぶ街の外れまで来たらしい。先を行く少年は時々振り返り、アリエルの様子を観察しているようだった。
 鞄を抱くアリエルの腕がしびれだした頃、少年はやっと足を止めた。アリエルもそれに並び、彼の視線の先を目で追った。
 それはレンガ造のこぢんまりとした二階建ての家だった。軒先にはきれいに錆取りされた跡のある看板が、潮の香りを含んだ風に揺れている。海が近いようだ。
「『レオナルドの薬屋』……貴方がレオナルド?」
「そうだ。この玉都一の薬師だぞ」
 レオナルドは少し得意げにアリエルを一瞥すると、ドアノブに手を伸ばした。アリエルもレオナルドの後ろに続く。しかし、レオナルドは何かにぎくりとしたように手を引っ込め、さっと横に逃げた。
 その瞬間ドアが勢いよく開かれ、家の中から輝く金髪の誰かが飛び出し、その勢いのままドアの前に突っ立っていたアリエルは抱きつかれた。
「レオ、お帰りなさい!」
「ひゃあっ」
 勢いよく抱きつかれたアリエルは耐えきれずに、その人と一緒に後ろへ倒れることになった。アリエルは反射的に目をぎゅっと閉じる。しかし、予想に反して地面に激突はしなかった。
 恐る恐る目を開けてみると、アリエルは地面にぶつかる直前で、押し倒した本人の腕に抱き留められていた。絹のような金髪が頬にかかる。
「あらあら、ごめんなさい。レオだと思って悪ふざけしちゃったわ」
 アリエルの目の前に絶世の美人の顔があった。榛色の瞳が申し訳なさそうに細められ、アリエルは頬に熱が集まるのを感じた。この美貌で国を一つ滅ぼしたと言われたら、信じてしまうほどの美人だ。
 レオナルドが呆れたようなため息を吐く。
「やはり貴方でしたか。だからいつも、もっと慎重に行動してくださいと申し上げているのに」
「だって、いっつも顰めっ面しているレオの驚く顔とか見てみたかったのです、も、の……」
 アリエルを抱き起こした金髪美人はそっとアリエルを解放すると、彼の声につられるように顔を上げた。
 その顔にみるみる驚きが広がっていき、ついには弾けるように笑い出した。
「やだ、小さい頃のレオそっくり!」
「本人です! 無断侵入については後で話を聞かせていただきますから、とりあえず中に入ってください。赤毛のそっちのも」
 レオナルドは舌打ちすると乱暴にドアを開け、ズボンを引きずりながら大股で店の中に入ってしまった。
 アリエルはあまりのことに呆けていたが、傾国の美人が手を差し出してきたので我に返った。
「そんなところに座ったままでは、折角のお洋服が汚れちゃうわ。貴女もレオのお客さんでしょ」
 アリエルは半ば惚けたままその手を取って立ち上がると、その手に促されて店の中へ入った。