緋色のアリエル 第3話 魔女

 クララに玉都の話を聞きつつしばらく待っていると、店の奥のカーテンの隙間からレオナルドがひょいと顔を出した。いつの間に用意したのか、服がぶかぶかではない物になっている。
「片付けてきたぞ」
 そう言うレオナルドに招かれるまま、アリエルは鞄を片手にカーテンをくぐった。
 カーテンの向こうは居住スペースだった。キッチンや勝手口らしき扉が視界に入る。
「こっちだ」
 階段は右手にあり、その上からレオナルドが声をかけてきた。アリエルが登ると、クララも後ろから付いてきた。
「ここを好きに使え」
 アリエルに与えられたのは東と南の二面に窓のある部屋だった。アリエルは運んできた鞄を部屋の隅に置き、天井や窓の外を見回した。
「本当にこの部屋を使って良いの?」
「ああ、どうせあまり使ってなかったからな」
 レオナルドは窓を開けながら答えた。
 クララも後ろからひょっこり顔を出す。
「日当たりも風通しもいいし、良い部屋じゃない。でも本当に何にもないわね。ベッドと棚くらいは必要でしょ」
「ベッドと棚か……」
 レオナルドは顎に手を当て、ふいにアリエルの方に顔を向けた。
「裏庭の物置に木材があるから、それを適当に持ってこい」
 それだけ言うと、レオナルドはどこかへ行ってしまった。
 アリエルは目をぱちくりとさせ、クララを見た。
「まさか、レオさんが作るの?」
「レオがトンカチを持って……?」
 クララにとっても予想外のことだったらしい。少し思案顔になったあと、堪えきれずといったように吹き出した。
「いえ、彼は器用だから何でも作ってしまいそうだけど。まあ、考えがあってのことには違いないから従っておきましょう。手伝うわ。裏庭の場所、分からないでしょう?」
 コホンと咳払いをして澄まし顔に戻ると、クララはアリエルの手を取った。

 階段を降りると、クララは迷わず先ほど見えた扉の一つに手をかけた。
 クララって、ここに住んでないって言ってたよね? というアリエルの疑いの目に気づいているのかいないのか、クララはにこやかに扉を開き、アリエルを外へと促した。
 アリエルは庭を見た瞬間、自分の目を疑った。
 まず、面積からしておかしい。来た時にちらっと見ただけだが、それでもあの外観の店の裏側がこんなに広いはずがない。異様に広い裏庭には様々な薬草が分類され、整然と何本もの畝に植えられている。何故気づかなかったのかという程の大樹や、小規模とはいえガラス張りの温室まである。壁際の棚には、珍しい草花の鉢植えも整列して置かれていた。
「アリエルちゃんは薬草に詳しいって言っていたわね」
 あまりの充実ぶりにアリエルが圧倒されていると、クララが優しく声をかけてきた。
「これだけたくさんの種類があると、胸を張って詳しいだなんて言えないわ。うちでも母が薬草を育てていたけど、こんなにたくさんの種類が一度に生えてるのは、初めて見たわ。じゃなくて、この広さおかしくない?」
 植物が多すぎて、庭の奥の方など、もはや緑のもじゃもじゃにしか見えない。
「うーん、私は詳しいことはよく分からないのだけど。今度、スペースの有効活用のコツを、レオに聞こうかしら」
 いや、そういう問題じゃないでしょうと言葉を失っているアリエルを尻目に、クララは手前にある物置らしき場所の戸に手をかけた。
「ん? 開かないわね」
 しばらくクララは扉をガタガタさせていたが、建て付けが悪いのかなかなか開かない。
 アリエルは気づいた。クララは言動も身なりも、いかにも貴族のお嬢様といった風だ。もしかしなくとも非力に違いない。アリエルは田舎育ちだ。男の人ほどではないと言え、腕っ節には多少の自信があった。
「クララ、私替わるわ……」
 そう言うアリエルの目の前で、クララはすっと扉の前から少し下がった。そして、すらっとした右足を持ち上げ、あろうことか木戸に蹴りを入れた。バキッと大きな音を立てて戸が真っ二つに折れる。
「オホホ、お見苦しいところを」
 若草色のスカートについた木くずを払うと、クララはスカートをつまみしずしずとお辞儀した。ぽかんとするアリエルを尻目に、クララは物置の中にあった木材をひょいひょい抱え始める。
「……それ、大丈夫なの?」
「大丈夫よ、レオが直すわ。はい、アリエルちゃんもこれ持って」
 反論を許さない笑顔で、クララは木材をいくらかアリエルに差し出した。
「……はい」
 アリエルは受け取りながら、クララの足をまじまじと見た。スカートが長いので、瀟洒な靴しか見えない。きれいに磨かれているが、先程の蹴りで付いたらしい傷が、右足の方にだけある。
「扉もだけど、クララの足も心配だわ」
「あら、ありがとう。丈夫だからこれくらい平気よ」
 大丈夫だと言うようにその場でくるりとステップを踏むと、鉄壁の笑顔でアリエルに木の束をもう一つ押しつける。アリエルがそれを受け取ると、クララは大きな木材を優雅に抱えた。
「とりあえず、これだけあればいいかしら。足りなければまた来ればいいわ。アリエルちゃん、戻りましょ」
 クララは両腕に木材を抱えているにも関わらず器用に勝手口を開け、アリエルに入るよう促した。
 アリエルは、とりあえずクララには逆らうまいと思った。

 部屋に戻ると、アリエルは室内の異様さにぎょっとした。アリエルの荷物を置いた部分だけ残して床を覆い尽くすように白い布が広げられ、その中心にはいったいどこから調達してきたのか、大量の麦わらと、これまた大量の羽毛と、こんもりと積まれた生成り色の布が置いてある。
 その側にレオナルドが立っていた。
 アリエルとクララが戻ってきたのに気づいたレオナルドは振り返って、傍らの山を指さした。
「戻ってきたか。じゃあそれをその辺に置いてくれ」
「……これは何事なの?」
「まあ、ちょっと外で待ってろ」
 若干引き気味のアリエルに、レオナルドは苦笑いした。
 アリエルとクララが布のそばに木材を置いたのを確認すると、レオナルドはアリエル達に廊下に出ているように言った。
「覗くなよ?」
 ふたりを部屋から追い出すと、扉を細く開けてもう一度念を押す。
 アリエルが「はーい」と返事すると、レオナルドは扉を閉めた。
「……『覗くな』って言われたら、覗きたくなるのが人間ってものよね? だいたいここ、私の部屋なのよね? 何するのかくらい、確認してもいいわよね?」
 クララが後ろで「やめた方が良いと思うなー」と苦笑しているが、強く止めようとする気配はない。アリエルは音を立てないよう細く扉を開けた。
 部屋の中ではレオナルドが床に敷いた布にチョークのような物で何かを描いていた。模様を描き終わると立ち上がり、手を山の方へ向ける。
 一拍の呼吸の後、描かれた模様が輝き始めた。山になっていた物たちが浮き上がり、光に包まれる。
 アリエルは目を見開いた。
「……魔法!?」
 やがて光は強烈さを増し、アリエルはこらえきれずに目をつぶった。
 光が収まったのを感じアリエルが目を開くと、麦わらも布も木材も消え、代わりにピンクのカバーの掛かったベッドと可愛らしいチェストが部屋の中に現れた。
 アリエルはぽかんと目と口を開けたまま部屋に入った。
 扉の開く音にレオナルドが振り返る。
「見たな?」
 責めるような目で見られて、アリエルは好奇心に負けたことをほんの少し後ろめたく感じた。
 クララも部屋に入ってくる。
「私は一応止めたのよー?」
「恐れながら、それを期待して貴方も外に出ていただいたんですが……」
 レオナルドはふーっと息を吐くと、クララと入れ替わるように部屋から出て行った。
 その後ろ姿を見送ると、アリエルはへなへなとベッドに腰を下ろした。
 ふかふかと、麦わらの良い匂いが鼻についた。
「今更だけど、レオナルドさん黒髪黒目だったわね」
 クララもアリエルの隣に座る。
「そうね。……アリエルちゃんはレオのこと、怖くなった?」
 この国では、黒髪黒目といえば魔女ウィッチのものだ。普通の人ならばどんなに濃い色をしていても、絶対に黒ではない。真に黒髪黒目を持っている者は、必ず魔女だった。
 魔女といえば、若さや美貌を保つために人肉を食らうだとか、魔法で人を意のままに操るだとか、恐ろしい牙や爪を持つ魔物を使役しているだとか、本当か誇張か分からないが、悪いイメージが世間の人々には染みついている。
 レオナルドは魔女の特徴である黒髪黒目で、しかも魔法が使える。男ではあるが、魔女であることを疑う余地はなかった。
 アリエルはうーんと首をかしげ、窓の外に目をやった。五時通りの外れを、のんびりと歩く人が目に入る。
「怖くなったかというと、でもそうでもないかな。魔法だって私のために使ってくれたんだし」
「初対面の時から気になっていたのだけど、もしかしてアリエルちゃんは魔女を知らないの? それとも、魔女が怖くないの?」
 クララが重ねて静かに聞いてくる。
「魔女のことは知っているわ。でも世間ではどうか知らないけど、少なくとも私は魔女に怖いことされたことないし。それを言ったら、クララ。貴女だってどうなの? クララはレオさんが怖いの?」
「……そうね。私もレオのことは怖くない」
 クララの声が寂しげに聞こえて、アリエルはクララの顔を見た。窓の方を向いてはいるが、目は悲しげに伏せられている。差し込む陽光が、クララのきれいな顔に濃い影を作っているようだ。
「世の中の人全員がそういう風に考えられたら、いいのだけれど……レオの近くにいる五時通りの人達でさえ、中にはレオを危険視する人もいる。だから、本当はもっと中心部で暮らせるくらい実力があるのに、レオはこんな町外れで暮らさなくちゃいけない。アリエルちゃんみたいに言ってくれる人の方が少ないね」
 すいと顔を上げ、クララはアリエルに視線を合わせた。
「アリエルちゃん、君にレオの助けになってあげてほしいんだ」
「わかったわ」
 クララはその返事に満足したように、ぱっと笑顔になって立ち上がった。さきほど感じた陰のようなものは、もう無い。
「それじゃ、私は一足先に下に行くわね。アリエルちゃんも荷物を片付けたら降りていらっしゃい」
 クララはひらひらと手を振りながら、ふわりとスカートをひるがえして部屋から出て行った。
 アリエルもベッドから立ち上がり、部屋の隅に置いてあった自分の鞄を開けた。
 元々家を飛び出すときにつかんできただけしか持ってきていないので、鞄の中身はあっさりチェストの中に収まった。引き出しにはまだまだ空きがある。ラジオはチェストの上に置いた。
 窓を見れば日が少し傾いている。三時くらいだろうか。そういえば、時計を持ってこなかったなとアリエルはぼんやり思った。
 中身を移し空になった鞄をパタンと閉じてベッドの下に押し込むと、アリエルは部屋を後にした。