緋色のアリエル 第4話 髪色

 一階に下りると、レオナルドが小鍋やガラス瓶などを奥の流しへ運んでいるところに鉢合わせた。
 レオナルドが少し、気まずそうに目を伏せる。
「お前、気にしないんだな」
 魔女ウィッチについて話したことを、クララから聞いたのだろう。
「何のことかしら? それよりもうお夕飯の準備? 何か手伝うことあるかしら?」
 アリエルの返事に、レオナルドは意外そうに目を丸め、そして表情を緩めた。
「いや、ついさっき若返り薬を調製し終えたところだ。さすがに飯の支度にはまだ早いだろ」
 店の方を覗けば、カウンターテーブルの上に件の宝石に彩られたピンクの壺が置いてあった。その周りには火を消したばかりらしいアルコールランプや、ぴしっと折り目の付いた薬包紙が重ねられている。アリエルの部屋から出ていった後に、若返り薬を作り直していたようだ。
 その向こうではクララがお茶を淹れていた。
 アリエルは視線をレオナルドに戻した。
「それ洗うの? 手伝うわ」
「そうか? それじゃ、早速働いてもらおうか」
 レオナルドはアリエルに持っている物を差し出した。
「精製途中の残りカスでも何らかの効果があるからな。触らないように気をつけろ」
 そう聞いた瞬間、アリエルは受け取ろうとした手を思わず引っ込めそうになった。
「これも、仕事だ」
 レオナルドにそう言われ、アリエルは腹をくくった。そうっと洗い物を受け取るとぎくしゃくと流し台へ向かった。
「大丈夫か、あれ?」
 レオナルドの不安げな声を聞き、アリエルは全神経を集中させて洗い物を流し台に置いて振り返った。
「だ、大丈夫よ。任せたまえ」
 びっとサムズアップする。そうかい、とふっと笑うとレオナルドは店の方へ戻っていった。カウンターの片付けに向かったようだ。アリエルの仕事を信頼してくれるらしい。
「さて、それじゃあ始めましょうか」
 蛇口を勢いよく捻れば、透き通った水がアリエルの手元に落ちる。アリエルは少しの間、水をじっと見つめ、手のひらで受け止めていた。
「うん、初仕事。気合い入れるわよ!」
 アリエルは袖を捲ると、母直伝の水仕事の歌を歌いながら洗い物を始めた。

 アリエルが洗い物を終えた頃、見計らったようにレオナルドが洗い場に顔を出した。
「なんだ、あのへんてこな鼻歌は。いや、聞きたいのそんなことじゃない」
 レオナルドはひょいと、水のしたたるガラス瓶をつかんだ。
「思ったよりも早いじゃないか。それにきちんと洗えている」
 アリエルは最後に薬匙を軽く振って水を切った。
「へんてことは失礼ね。母直伝の水仕事の歌よ。これを歌いながら、よく母と一緒に皿洗いとかしてたのよ。薬品を扱う器具だってことだから丁寧に洗ったつもりなんだけど、それくらい綺麗にすればいい?」
「十分だ」
 レオナルドは頷き、洗い終わった器具を倉庫へ片付けに出ていった。
 アリエルは初仕事で合格点を貰えたことに、ほっとしながら店の方へ向かった。
 店のソファではクララが目を閉じて優雅にお茶の香りを楽しんでいる。アリエルは空いていた向かいのソファに腰かけた。
 ソファの軋む音に気づいたのかクララはゆっくりと目を開けてカップを置き、アリエルに柔らかい笑みを向けた。
「さっそくお仕事だったの? お疲れ様」
 アリエルもつられて頬が緩んだ。
「仕事と言っても、鍋とか洗っただけよ」
「それだって立派な労働よ」
 クララはテーブルに二組伏せてあったティーカップの一つをひっくり返すと、お茶を注いだ。
「ちょっと冷めちゃってるけど、どうぞ」
 アリエルのために用意していてくれたらしい。もうひとつの方はレオナルドのためだろう。
「ありがとう」
 アリエルは差し出されたティーカップを受け取り、口を付けた。
「あれ? 何か不思議な香りがする」
「気づいた? 何種類かの香草入り、レオ特製ブレンドティーよ」
 クララはぱちりとウインクした。
「これ、レオさんが作ったの? 薬だけじゃなくて、こういうのも作れるんだ?」
 アリエルはカップの中を覗いた。爽やかなような甘いような、的確な表現が難しい良い香りが胸一杯に広がる。
「レオは器用だって言ったでしょう? よっぽど本格的なものでなければ、大抵のものは何でも作っちゃうわよ」
 クララは魔法でね、と小声で付け足した。
「でも、薬ではないから売り物にはしないつもりみたい」
 そう言うと、お茶を啜った。
 アリエルもクララに倣い、お茶をちびちびと飲みつつ香りをたっぷり楽しんでいると、カウンターの向こうにレオナルドが現れた。ローブを着てフードをしっかりとかぶっている。
「アリエル、次の仕事だ」
 カウンターの上にあったピンクの壺を手に取ると、ふたりの所へやってくる。アリエルがひっくり返してしまった壺の中身は、今は若返り薬で満たされているはずだ。
「これを依頼主の元へ届けに行くぞ。納品日は今日ってことになってるからな。きっと首を長くして待っている」
「あ、そうなの。ちょっとだけ待って」
 アリエルは慌ててお茶を飲み干した。
「レオったら慌ただしいのね。女の子のお茶くらい待っていてあげられないの?」
 クララもくいっとカップをあおった。
「それじゃ、私もそろそろお暇することにするわ」



 五時通りを少し歩いた所でクララはふたりと別れた。迎えの馬車が近くまで来ているらしい。
 アリエルとレオナルドはそこから裏通りに入り、中央広場を抜け、十二時通りに向かった。
「知っているかもしれんが、玉都城に繋がっている十二時通りには貴族の別邸が集中している。今から向かうオーガスタス侯爵の別邸もそこにある」
 レオナルドは広場に設置された地図を指さした。十二時通りの真ん中辺りだ。
「今回の依頼主は侯爵夫人様だ。気位の高い方だから、とにかく怒りを買わないように気をつけろ」
 アリエルが神妙に頷くのを見て、レオナルドは歩き始めた。アリエルもレオナルドに置いていかれまいと並んで歩く。レオナルドのフードがはたはたと風をきり、視界の隅で少し騒がしい。
「ところでレオさん、なんでフードかぶってるの?」
 レオナルドはああ、と自分の頭を指した。
「この髪じゃ堂々と道を歩けないのさ。大人の姿だったら『薬屋のレオナルド』としてそれなりに知名度があるから、そんなに気を遣わんでもよかったんだがな」
 アリエルはその言葉にはっとして周囲を見回した。子どもの姿では、一見して男子か女子かは判別しにくい。幸い、レオナルドの黒髪はきちんと隠れているようで騒ぎ立てる人はいなかったが、いぶかしげにこちらを見ている人もいないわけではなかった。
「もしかして、さっき途中から裏道に入ったのって、できるだけ人目に付かないようにするため?」
「ああ、そうだ。それより、いくら都会が珍しいからって、そんなにキョロキョロ見回すな。目立つぞ」
 レオナルドにたしなめられて、アリエルはレオナルドを見下ろした。
 もしレオナルドの黒髪が見つかれば大騒ぎになるだろう。街の人たちの魔女への感情は、アリエルが考えていた以上に悪いようだ。
 レオナルドに話しかける声も、自然とひそめたものになる。
「街の人たちは、そんなに魔女からひどいことをされているの?」
「いや、実際に被害を受けた奴はあんまりいないだろう。でも、魔女は悪いやつ。それが常識なんだ」
 レオナルドはアリエルを見上げた。
「アリエル、魔女である俺自身から言わせてもらっても、お前の方が変だぞ。人と違う黒髪黒目ってだけで、薄気味悪いとか思わないのか?」
 レオナルドのこぼれそうな黒い瞳に、アリエルが映る。
「人と違う黒髪って言ったって、クララみたいな金髪の人もいるし、私みたいな赤髪もいるわ。父さんは茶髪だったし、黒だって居てもいいんじゃない? 目だって同じよ。私はシルバーだけど、クララははしばみ色だったし。父さんは……何色だったかしら? まあいいわ。たぶん私と同じシルバーよ。いろんな色の人が居るんだから、髪や瞳の色で怖がるなんて、私は馬鹿馬鹿しいと思う」
 アリエルは自慢の緋色の髪をたなびかせた。
 レオナルドは笑いかけて失敗した微妙な顔になった。
「お前のその考え方は田舎では普通なのか?」
「どうなんだろう? あんまり人付き合いなかったし、学校ではわざわざ魔女の話なんてしなかったから」
「お前はずいぶんと特殊な育ち方をしたんだな」
 レオナルドは眉を八の字にした。
 アリエルはむっと口を尖らせた。
「でも、本当の魔女だって別にみんながみんな悪い人じゃないんでしょう? それともレオさんは悪い人なの? 違うでしょ? じゃあ、別にいいじゃない」
「まあ、個人の考えとしてはそれでもかまわんだろう。俺も怯えられない方が気が楽だし。だが玉都でその調子じゃ、常識知らずの世間知らずと思われるぞ」
「……忠告ありがとう」
 アリエルがしぶしぶ頷いたのを見て、レオナルドは前を向いた。
 アリエルもそちらへ視線を移すと、大きな門が目に入った。
「ここだ」
 レオナルドが門番に近づき「薬師の使いが来たと伝えてくれ」と言付けを頼む。
 やがて屋敷の中に招かれ、応接室に通された。
「ここが、オーガスタス公爵邸?」
「ここは別邸の一つだな。本邸はオーガスタス領内にあるはずだ」
「こんなに大きなお屋敷なのに、別邸なの……」
「オーガスタス公爵は、先王の弟君に当たる方だからな。それなりの屋敷でなければ釣り合わんさ」
 アリエルが半ば放心しつつ装飾品を眺めていると、奥の扉からドレスを着た女性がメイドを伴って現れた。
 レオナルドが小声でアリエルに言う。
「あの方がオーガスタス公爵夫人だ。本人が出てくるなんて、よっぽど待ち遠しかったんだな」
 オーガスタス公爵夫人は三十代ほどに見える、気の強そうな美しい女性だった。
 アリエルは思わず目を見開いた。
「あの人が? オーガスタス公爵夫人って、あんな感じの人なの? なんていうか、もっとお婆さんじゃないの?」
 レオナルドが小さくため息をつく。
「お前、俺たちが何を持ってきたのか、忘れたのか?」
「そうでした、若返り薬です」
 そんなやりとりをする二人のもとへ、公爵夫人は転がるように近づいてくる。
「貴方たちが薬師の使いの者ね。待ちくたびれましたのよ……」
 初めは弾んだ声だったのが、近づくにつれ苦々しさを帯びた。アリエル達の前にやって来たときには、その顔はとても醜く歪んでいた。
「不愉快な緋色だわ」
「へっ」
 真正面から敵意にも似た視線を向けられたアリエルは戸惑った。自分は彼女と初対面のはずだ。
 オーガスタス公爵夫人もそのことに思い至ったのか、すぐに再び笑みを顔に貼り付けた。
「あら嫌だ、わたくしったら。ごめんなさいね。すっかり待ちくたびれてしまって、虫の居所が悪かったものだから」
 そう言うと、口元を扇で覆った。
「それで? いつもは薬師本人が持ってくるのに、何故今日は貴方たちなの?」
 アリエルが、どう説明したものかとまごついていると、レオナルドが、髪を隠すように顔を伏せつつ、一歩前に出る。
「師匠は今、仕事が立て込んでおりまして」
 どうやらアリエルと小さいレオナルドは、大人レオナルドの弟子ということになったらしい。
「あら、そうなの。あの人、あんな外見でも薬師の腕は国内で一番ですものね。そうでなければ魔女なんかに頼むものですか。それで、約束の物は貴方が持ってきたの?」
 視線を向けられたレオナルドは一瞬悩んだそぶりをした後、なるべく顔を上げないようにして、公爵夫人に瓶を差し出した。
「こちらになります」
 公爵夫人は、少し気取ったようにそれを受け取った。
 瓶を眺め回した後、きゅぽんっと小気味の良い音を立てて、瓶の蓋を開ける。レオナルドと初めて会った時に嗅いだ覚えのある、あの甘ったるい香りが溢れた。その香りに満足そうに、公爵夫人は目を細めた。
「いつもと同じ薬ね。確かに今日中に受け取ったわ」
 瓶に蓋をして、夫人はメイドに何か指示を出した。メイドは小さな革袋をアリエルに渡すと、一礼してまた夫人の後に戻った。革袋は大きさの割にずしりと重い。
 これ、いくら入ってるんだろうとぼんやり考えていたアリエルは、はっとした。これは、本来アリエルが弁償しなければいけないものなのだ。金額を想像すれば、肝が冷えた。
「それを寄越せ」
 レオナルドが小声で言う。袋を渡せば、そっと中身を確認する。
「お代、確かに頂戴しました。また、ご贔屓に」
 レオナルドが恭しくお辞儀したので、アリエルもぺこりとお辞儀する。
「ええ、薬師によろしく伝えてちょうだい。お客様のお帰りよ」
 夫人は先程の様子が嘘のように鷹揚に微笑むと、二人を屋敷から送り出した。

「き、緊張したわ!」
 門番に見送られ十二時通りまで戻ってくると、アリエルは自分が思っていたよりも緊張していたと実感した。
「おう、お疲れさん。まあ、あの方は常連客の中でも特にやっかいな方だから、他の方はそこまで緊張しなくても大丈夫だと思うぞ」
 対してレオナルドはあまり変わらないように見える。
「そうよね? 貴族って言ったって、もっと親しみを覚えるような人も居るわよね?」
「そんなに心配するな。大丈夫だ、どっちにしてもお前を捕って食うようなことはしないさ。第一、お前もうクララ様と仲良しって感じじゃないか」
 どうどうと、アリエルを落ち着かせるようにレオナルドが言う。
「それにしても、夫人のあの態度はなんだったんだろうな。いつもはあそこまでピリピリした感じじゃないんだが。夕方近くまで待たせちまったからかな」
「そんなの、私が分かるわけないじゃない」
「そりゃそうだよな」
 そんな会話をしつつ歩いているうちに、中央広場まで戻ってきた。
 レオナルドがふと足を止める。
「そうだ、せっかくここまで来たんだ。お前の生活に必要な物もついでに買いそろえてから帰ろう」
 レオナルドは指折り、必要そうな物を数えだした。
「まず、食器だろ? 寝具は作ったから、ああ、着替えはどのくらい持ってきたんだ。あと、何か必要な物はあるか?」
「そうね……」
 アリエルは昼間荷物を片付けた時のことを思い出した。
「そういえば、時計が欲しいと思ったわ」
「そうか。じゃあ時計もだな。また何か思いついたら言えよ」
 そう言うと、レオナルドは五時通りに向かって歩き始めた。
 五時通りは職人の街。食器も時計も、それぞれ工房があるだろう。
 アリエルもレオナルドを追いかけて、五時通りへと帰って行った。