緋色のアリエル 第7話 目薬

 店に帰って朝食の片付けをし、自分の洗濯物をすませてしまうとアリエルは手持ち無沙汰になってしまった。レオナルドのぶんも洗濯すると申し出てみたが、
「頼む、何か大事なものが失われる気がするからやめてくれ」
と懇願されたので、それだけはレオナルドに任せることにした。
 あまりに暇だったので掃除でもするかとも思ったが、レオナルドが普段から綺麗にしているようで、掃除のし甲斐もない。
 今はレオナルドはカウンターで何か薬を調製している。クララはソファで優雅にお茶を飲んでいた。
 アリエルは暇そうに、薬棚の引き出しをあちこち開けては閉めてを繰り返していた。いろいろな薬の原料が、種類ごとに分類されてしまってある。
「レオさん、何かやることないですか」
 レオナルドはちらりとアリエルを見たが、乳鉢で薬を混ぜ合わせる手は止めない。
「今作ってる薬は、お前に任せるわけにはいかないんだ。……そうだな、じゃあ棚に入ってるのと天井からぶら下がってる薬の材料名を全部覚えてもらおうか」
 アリエルは上を見た。
「手前からアコナイタムの葉、コンバラリアの花、サリックスの枝……」
 レオナルドは目を見張った。アリエルは薬草の名前を次々に正確に当てていった。
「あ、あのピンク色のは……ヴァレオっぽい? でも色が違うわ」
「それはヴァレオを水にさらした後、干したものだ」
「へえ、こんな色になるのね」
 アリエルは興味深そうに見ていた。
 クララはかちゃり、とティーカップを置いた。
「さすが、薬草の知識には自信があると言っていただけあるわね」
 レオナルドも感心したようにアリエルを見た。
「えへへ、母さん直伝の薬草知識なの。ただ、薬草だけだから、動物由来の薬は分からないわ」
「ほう。言われてみれば今朝、草の世話の仕方を教えてやった時もすでに知っていることが多いようだったな」
「それも母さんの庭の手入れを手伝っていたから」
「自分の家の庭を持っているのか。もしかして、お前の実家は大地主とかだったりするのか」
 アリエルは次に紡ぐ言葉を探すように右上の方を見た。
「いや、それは単に田舎だから土地が広いだけかと」
 ちょうどその時、ドアベルの音と共に一人の青年が現れた。入り口の所で帽子を取って、三人に軽く会釈する。
 アリエルはそちらに笑顔を向けた。
「いらっしゃいませー!」
「やあ、こんにちは」
 彼も微笑み返し、それから目でレオナルドを探した。
「フェリックスに聞いたけれど、本当に子供だね、レオナルド」
 青年は薄茶の瞳を愉快そうに輝かせた。
 レオナルドは調薬の手を止めて、ぎろりと訪問者を見た。
「何の用だ、ジョージ」
「つれないな。顔なじみが面白いことになってるみたいだから、心配して来てやったのに。あと、可愛い女の子が増えたって聞いたから」
 彼はケラケラと笑った後、アリエルにぱちりと片目をつぶってみせた。
「お名前を伺っても?」
 白い歯を見せてニカッと笑い、アリエルに手を差し出す。
「アリエルです。えっと、初めまして。レオナルドさんの弟子ってことになってます」
 アリエルが握手に応じると、ジョージはその手を引き寄せて手の甲に口づけた。
 思わぬ返しに、アリエルは頭が真っ白になって硬直した。
「初めましてじゃないんだけどな。手持ちに余裕ができたら、また来てくれるって言ったじゃないか」
「え?」
 アリエルはぱちぱちと瞬きし、目の前の青年を見つめた。
「あ! 駅のところにいた露天の人!」
「当たり。銀工房で働いてるジョージです。以後よろしく」
 そう言って、もう一度ぱちりとウィンクした。
 その直後に横から乳棒が飛んできて、すこーんといい音を立ててジョージの頭にクリティカルヒットした。
「人の店で、ナンパ行為はよしてもらおうか」
「なんだよ、軽い挨拶じゃないか」
 アリエルの手を解放すると、ジョージは頭をさすりながら不満げな視線をレオナルドに向けた。
 その視線を一瞥して流し、レオナルドは新しい乳棒を器具棚から取り出して調薬を再開した。
「お前は女なら誰でもいいのか。用がそれだけならとっとと帰れ」
「レオナルドにはクララさんがいるんだし、別にいいだろ? タイプの違う女の子で両手に花とか、ハレムでも作る気なのかよ」
「何度も言っているが、クララ様とはそういう仲じゃない」
 ゴリゴリと、心なしか混ぜ方が乱暴になっている。
 当のクララは我関せずといった風にティーカップを手に微笑んでいた。
 ジョージは口をとがらせて頭をさする。
「はいはい。で、本題だけどさ。目に効く薬をくれよ。また火を見過ぎてやってしまった」
「そんなんだから、お前はいつまでも半人前なんじゃないのか」
 憎まれ口を叩きつつもレオナルドは調薬の手を一度止め、カウンター席から降りた。そのまま天井からぶら下がっている薬草のひとつに手を伸ばす。届かない。
 フンッと気合いを入れて飛び跳ねても届かなかった。何度挑戦しても駄目だった。
「……取るわね」
 硬直から回復したアリエルが手を伸ばした。ひょいとつかんでレオナルドに渡そうすると、レオナルドはぶすっとそれを受け取ろうとした。しかし、ふと手を止めると、そのまま手を引っ込めてしまった。
「……ちょうどいい、ヤツの薬はアリエルが作ってみろ」
 そのままカウンターの向こう側へ戻った。アリエルは驚いて薬草を握りしめる。
「えっ、やれって言われても、製薬の仕方なんて分かんないんだけど」
「心配しなくとも、簡単な手順で作れる薬だ。まず、棚からすり鉢を持ってこい。で、そこにその葉っぱを六枚くらい細かく千切って入れろ」
 レオナルドはそれだけ言うとバックヤードに引っ込んだ。
 しかたないので、アリエルはぶちぶちと葉を引きちぎってはすり鉢に投げ入れた。アリエルが葉っぱを千切り終える頃に、レオナルドは薬缶を片手に戻ってきて、カウンターの隅の小さなコンロにそれを乗せた。
「次に、薬棚の左から五列目、上から三番目にサリックスの樹皮が入ってる。わかるか?」
 アリエルは薬棚に移動した。言われた引き出しを開けると、アリエルも知っている樹皮が入っていた。
「あったわ、これよね。母さんは『薬の木』って呼んでたわ」
「サリックスの樹皮には消炎鎮痛効果があるからな、大体の症状はこれを使えば落ち着く。それも一かけ入れて、さっきの葉と一緒に粗く粉にしろ」
 アリエルは樹皮をひとつ摘まむとすり鉢に落とした。摺り子木でゴンゴンゴリゴリとすり始める。
 クララとジョージは不安げにアリエルを見た。
 アリエルはその視線に気づいて、むっと顔をしかめた。
「すごい音で不安になるのかも知れないけど、これ、すっごく堅いのよ!」
 横からレオナルドがアリエルのすり鉢を覗き込む。
「うーむ、力み過ぎかもしれない。まあ、そのうち慣れるだろう」
 その後も手を休ませずにいると、しだいにゴリゴリと言う音がコリコリくらいになった。
 レオナルドがすり鉢の中を再び覗く。
「ああ、それくらいの粗さでいいぞ。それじゃ、今度はその薬缶に茶さじ一杯分入れろ。五分くらい酒で煮詰めて抽出したら完成だ」
 アリエルの作業を確認すると、レオナルドはコンロ脇の砂時計を一つひっくり返して自分の乳鉢に戻った。

「そろそろ五分経ったかしら」
 アリエルは砂時計を見て呟いた。最後の一粒が、するりと下に落ちていく。
 アリエルはこの五分で、ジョージはだいぶ女たらしだと確信した。
 クララとジョージはテーブルを挟んでお茶を飲んでいたが、よくもまあ女性を褒めるネタが尽きないものだといっそ感心するほど、ジョージはアリエルとクララに軟派な言葉を浴びせていた。
 そして、クララのそれを躱すスキルがずいぶんと高いことも分かった。アリエルは上手く返すことができず答えに困ってばかりだった。その度に、クララが助け舟を出してくれたり、さりげなくレオナルドが制止を掛けたりした。口は少し悪いけど、レオナルドがとても紳士だと言うことも分かった。
 レオナルドは調製の手を止め、顔を上げた。
「それじゃアリエル、茶こしを通しながら薬液をカップに移して、それをジョージにくれてやれ」
 その黒い瞳に何となく安堵し、アリエルは気を取り直して薬液をジョージに渡した。
 その受け渡しの時にもジョージは絶妙な女たらしスマイルをアリエルに向け、アリエルは引きつった笑顔を返すのが精一杯だった。
 ジョージは手にした薬液を一気に飲み干し、
「……熱い! そしてやっぱり苦い!」
 顔をくしゃくしゃにした。
 そんな彼を一瞥して、レオナルドはため息をついた。
「薬なんだから当たり前だろう。いい歳した大人が文句を言うな」
「いやー、そうだけどさ。この苦いのが効いてるって感じもするし。でも、やっぱり苦い」
 ジョージはぺろりと舌を出す。
「じゃあ、我慢しろ。お・と・な、なんだからな」
 出会い頭に子供だと笑われたことを、意外と根に持っているらしい。
 レオナルドはフンッとジョージを一蹴して、手にしていた乳鉢の中身を薬包紙に移した。丁寧に包むと、それをクララに渡す。
「今日の分です」
「うふふ、いつもありがとう」
 クララは受け取った薬を、いきなり飲んでいたお茶にサラサラと混ぜ始めた。そして一気に飲み干した。
 レオナルドは眉をひそめた。
「お茶で飲まないでくださいといつも言っているでしょう」
「だぁって、これも苦いんですもの。お茶に混ぜると味がまぎれるのよ」
 うふふっと両頬に手を当てて、悪びれる様子もない。
 レオナルドは諦めたように、短く息を吐いた。
「まあ、どうせそうだろうと思って、最初からお茶で飲んでもかまわないよう調製してますけどね」
「レオナルドありがとう。愛してる」
 クララがさらりと言うと、レオナルドはしっしっと手を振って、定位置に戻っていった。
「だから、貴方のそういう発言が誤解を招くんです。やめてください」
 クララは「えー?」と、気を悪くした風でもなくクスクス笑っている。
 アリエルは、このふたりは本当はどういう関係なのかやっぱり気になった。
「そういえば、クララはお得意様だって言ってたわね。毎日レオさんの薬を買いに来ているの? 何でか聞いてもいい?」
 クララはほんの少し、困った顔をした。
「まあ、ここ半年くらい毎日来てはお薬を貰って帰るからお得意様には違いないわね。理由はなんと言ったらいいか……病気ってわけではないのだけど、慢性病のような……?」
 クララは人差し指を右頬につけ、考えるようにぱちぱちと瞬きをした。
 そこへレオナルドが質素な瓶を片手に戻ってきた。
「アリエル、あまりお客様に根掘り葉掘り聞くんじゃない。それとジョージ、これはさっきの煎じ薬の残りだ。また目を使いすぎたと思ったら、これを茶さじ一杯分煎じて飲め」
 ずいと瓶をジョージに突き出す。ジョージはそれを受け取り、代わりに銅貨をレオナルドに渡した。
「お邪魔虫はさっさと退散しろってことか、わかったよ。じゃ、また来るからね」
 ジョージはアリエルにパチンと片目をつぶってみせると、店から出て行った。
 アリエルは、通りに面した窓から彼の背中が見えなくなるまで黙って見送った。
「……なんだろう、あの人すっごく苦手な感じがする」
 クララは新しい茶を淹れて、アリエルに勧めた。
「アリエルちゃんの出身地では、ああいう感じの人って珍しかったのかしら」
 アリエルはお茶をありがたく受け取って、一口飲んだ。かすかに花の香りがする。
「そうね。だから、何て返事すればいいのか全く分からなくて」
 クララも自分のお茶の香りを楽しみながら、口にした。
「大丈夫よ。ああいうのは適当に相手しておけばいいのよ。あっちも大して深く考えていないわ」
「その『適当』っていうのがわからないんだけど」
 アリエルは少しむくれて、お茶をちびちび飲んだ。
 それが何かクララのスイッチを入れてしまったらしい。レオナルドに「昼飯にするぞ」と止められるまで、アリエルはクララから様々な対人術を懇々と説かれてしまった。