かみさま的日常風景。 桜の季節。

 うららかな気候の続いていたある日、春の神である薫幟から、彩王へと青川の桜並木が満開になったと報せが入った。
 それを待っていましたとばかりに、彩王は髄晶宮へと駆け込んだ。
「幽王! 桜が咲いたそうじゃ! 花見をしようぞ!」
 仕事の忙しい幽王にしては珍しく、彼は透廊に腰掛けて日向ぼっこをしていた。
 彼はゆっくりと首を廻らし、やがて彩王の姿を認めるとかったるそうに嘆息した。
「折角季節が貴女の管轄に移り、ようやく暇ができたというのに……相も変わらず騒々しい人ですね」
 彩王はかまわず、幽王にずかずかと近づき袖をぐいぐいと引っ張った。
「そんなところで呆けておると、瞬く間に老けるぞ! 早う東方へ行くのじゃ!」
「老けるといったって、人間の年齢にしたら我らはもう十分に老人ですが」
 幽王がちらりと後ろに控えていた采女達を見やると、心得ている彼女達はすでに遠出の準備を始めていた。
 結局、幽王が彩王の誘いを無碍にしないと皆知っているのだ。
「仕方ないですね。それで、東方のどこへ行くのですか」
 幽王が折れたと分かると、彩王は目を輝かせ、頬を上気させた。
「青川じゃ! 青川の桜が見頃じゃと薫幟が言っておった!」
「ああ、やはり」
 幽王は青川を頭に思い描いた。
 青川は、東方領域の東端を南北に流れる大きな川だ。そちらの方は彩王の管轄なので、幽王はあまり足を踏み入れたことはない。しかし、毎年桜の時期になると彩王に連れ出されているので、彼の頭の中では青川と言えば桜だった。
「ああ、やはりあそこなのじゃ! 桜餅に桜茶を持て行こうぞ」
「では、そのように」
 形だけ采女達に指示を出すと、幽王はよっこらせと立ち上がった。



 二人は牛車に乗り、天界東端の青川まで揺られて来た。
 共に連れてきたのは牛使いのみ。彩王が外でまで采女にまとわりつかれたくないと駄々をこねた結果だ。
 東方領域は春の領域。柔らかな日差しが水面にきらきらと反射していた。
「思いつきで飛び出してきたが、春雷の真っ只中でなくて良かったのう」
 彩王が牛車からにじり出つつ、カラカラと笑う。
「天気くらい確認してきてください。どうせ気を利かせた薫幟が晴れにしてくれたのでしょうけれど」
 先に降りた幽王は昊を見上げた。ついと、燕が低く飛んでいく。
「ああ、でもじきに雨が降り出しそうですね。さっさと見物して帰りましょう」
「まだ着いたばかりじゃというのに、風情のない男じゃ」
 彩王がむくれながら、荷物を入れた箱を引っ張り出す。共が居ないから、自分で持つしかないのだ。
「ほれ、幽王は敷物を持つのじゃ」
 ずいとござを突き出されては、幽王は仕方ない、と受け取るしかなかった。

「この辺りにしようぞ」
 いっとう大きな桜の木の下で、彩王は足をとめた。幽王にござを敷けとせかす。
「毎年ここのような気もしますが、まあよいでしょう」
 幽王がばさりとござを広げれば、彩王はその真ん中に持っていた箱を置いた。
 蓋を開ければ、茶器と桜餅。采女がきちんとまとめてくれた物だ。
 彩王はいそいそと桜茶を準備し始めた。桜餅を目の前に用意することも忘れない。
 二脚の器に茶を注ぐと、彩王は満足げに笑った。
「なんというか、春じゃ。という感じじゃのう」
「東方に来れば、いつでも春でしょう」
 幽王は、彩王が淹れた桜茶に口をつける。
「でも、いつでも桜が満開ということはないのじゃ」
 彩王はそっぽを向いて、ずずーっと茶をすすった。すると、何かに気づいた様に彩王は首をかしげた。
「何をしておるのじゃろうか」
 彩王のつぶやきに、幽王も視線をそちらへ向ける。そこには慌ただしくあちらこちらを行き来する采女達が居た。服の色は蒼。薫幟の住む碧翡邸の采女達だ。
「さあ、桜の花を摘んでいるようですが。聞いてきたら良いじゃないですか」
「うむ、そうするとしよう」
 言うが早いか、彩王はさっとござから飛び出すと、とてとてと采女達に近づいていった。
 しばらくなにがしか話をすると、たたたっと走り戻ってくる。
「桜の塩漬けを作るそうじゃ。じきに雨が降るから急いで収穫しているのじゃと! 妾はそちらを手伝うてくるぞ!」
 そう言うと、再び采女達の方へ走り去っていく。
「お好きにどうぞ……」
 幽王はため息を一つ吐いて桜餅を二つとも食べると、茶器を片付け、さっさと髄晶宮へ帰った。



 二週間後、髄晶宮には彩王が漬けたという桜の塩漬けが十瓶余り届いた。
「調子に乗って、漬けすぎてしまったのじゃ。これを食べて塩分過多になってしまえばよい!」
 と言伝がついている。
 幽王は女性の甘味への執念を感じた気がした。