緋色のアリエル 第9話 調達(早期公開版)

 日が明けて、アリエルの玉都生活三日目。
 裏庭の世話が終わり朝食にしようかというタイミングで、この日もクララがやってきた。
「おはようクララ。昨日は急に帰っちゃったから、少し心配してたのよ。今日も会えてよかった」
「ああ、昨日ね。心配かけてしまったみたいで、ごめんなさい」
 眉を下げて、クララが笑う。
「王子様の結婚の噂を聞いたところくらいから様子がおかしかったじゃない? 私、一晩考えたんだけど、的外れでも笑って許してね。もしかしてクララって、王子様のお嫁さん候補のお嬢様だったりする?」
 そう聞くアリエルに、クララは目玉がこぼれ落ちるかと思うくらい目を見開いた。
「私が? お嫁さん? うふふ。ないない、私はそんな立場じゃないわ」
 ひらひらと手を振って否定する。それから、んーっと人差し指を頬に当て、いたずらっぽく笑った。
「実は姉が旅行から帰ってくる日だったの」
「クララ、お姉さんがいるの」
「ええ。顔も声もそっくりだから、もし会ったらアリエルちゃん、すぐに分かると思うわ」
 ふふっと微笑むクララを見て、アリエルはクララの姉を想像した。
「クララを少し大人にした感じかしら」
「そうね、そんな感じかしら。あっでも、性格は全然違うわよ! すっごく怒りん坊なの。昨日も三日ぶりの家族揃っての夕食にちょっとだけ遅れてしまったのだけれど『お姉様ヘの敬意が足りない』って、もんのすごく怒られたわ! お土産あげないぞって」
 そう言って、クララはおそらく自分にできる精一杯の怒り顔をした。
「そんなにお姉さん怖いの。それで急いで帰らなきゃだったのね」
 アリエルはその話に納得することにした。クララもふふっと笑って「そうなの」と微笑んだ。

 その後の来客はまばらであった。レオナルドの言った通り、普段の薬局はあまり忙しくはならないようだ。
 一日の大半は薬の材料の手入れや管理に時間を使い、その合間にちょこちょこと世間話がてら近所の職人が訪れては傷薬や塗り薬を買っていく、というのがこの薬局の日常らしい。
 初日にあった貴族からの依頼と配達は、たまにしかない仕事のようだ。

 四日目、五日目と時が経つにつれ、アリエルの顔を見に来るだけの客も来なくなり、一週間もした頃にはもうすっかり通常営業といった様子になった。
 その間もクララは毎朝来ては、レオナルドの薬を苦い苦いと言いながらも飲んでいた。一度アリエルが、それも甘い薬に作り変えてみようかと提案したが、
「クララ様の薬は、さすがにお前には任せられない」
とレオナルドに一蹴されてしまった。



 アリエルがレオナルドとの師弟生活にすっかり慣れた、そんなある日。
「レオ、今日はクララ来ないわね?」
 いつもならとっくに来ている時間だというのに、今日はまだクララが顔を見せていない。
「ああ、そうか。何だか昨日、二日分の薬を持っていかれたな……」
 レオナルドは傍らの薬棚の引き出しを一つ開け、中を確認しながら言う。
 しばらくじっと在庫を眺めた後、ふむ、と顎を撫でた。
「少し残りが心許ない物があるな」
 引き出しを閉めると、アリエルの方へ振り向いた。
「ちょうどいい。今日は薬局を閉めて、調達に行くぞ」
「閉めちゃっていいの?」
「田舎の薬局にだって家庭の事情で休む日くらいあっただろう、たまにはいいさ。表の看板をクローズにしてくれ」
 本日の薬局開店時間は、わずか一時間だった。
「よし、それじゃ準備するぞ」
 そう言って、店の奥のカーテンをくぐっていった。

 倉庫部屋では採集道具を、キッチンでは硬めのパンと葉物野菜と乾燥肉を鞄に入れ、裏庭に続く扉に向かった。レオナルドは傍らに置いてあったチョークで何か模様を書き付けてから扉を開けた。すると、目の前にはこの一週間余りで見慣れた裏庭とは違う光景が広がっている。
「え、裏庭じゃない」
 向こう側の地面に足を踏み出せば、さくりと草を踏む感覚が確かに感じられる。空気も湿気を含み、ひんやりと澄んでいる。鬱蒼と木の生い茂る森の中だ。
「ここは玉都から三キロくらい北にある森の中だ。庭で育てられないような物は、ここから仕入れている」
 レオナルドもこちら側に来ると、後ろ手に扉を閉めた。すると、すうっと扉が消えていき、太い幹の木肌が現れた。
「消えちゃった」
「知らん奴に侵入されても困るからな。一方通行の扉なんだ」
「ふうん。って、帰りはどうするの」
「歩きだな。だから、この扉をあまり遠くには繋がないんだ」
「いや、三キロって十分遠いと思うけど」
「サクサク歩けば一時間もかからないで帰れるだろ……って、もしかして子供の足ではそうもいかないのか……?」
 レオナルドはその時初めて気づいたように、はっと顔を強張らせた。アリエルは追い打ちをかけるように釘を刺す。
「単純に子供の体なんだから歩幅は小さくなるし、それに体力も無いんだから、三キロ歩き切る前に疲れ果てちゃうと思うわよ」
「なん……だと……」
「まあ、歩けなくなっちゃったら、私がだっこして帰ってあげるわよ。そのために私が居るんでしょ?」
 アリエルはひょいっと、レオナルドを抱き上げる仕草をした。レオナルドは心底嫌そうな顔をした。
「いや、女に抱きかかえられるような無様は勘弁願いたい。そうならないよう、早めに切り上げるとしよう」
 レオナルドは自分が持ってきた鞄から、小ぶりな鎌を取り出した。
「それじゃ、まずは群生地のわかっている薬草から刈りに行くぞ」
 言うが早いか、鎌でザクザクと道を切り開きながら、森の奥へと進んでいった。

 レオナルドはずんずんと、森の奥へと進んでいった。
「ねえ、レオ。そんなに奥へ行っちゃって大丈夫なの?」
「仕方ないだろう。このくらい森の深い場所じゃないと、生えていないんだ。っと、そうこう言っている間に、最初の群生地に着いたぞ」
 レオナルドの指さす方を見れば、岩の陰にうっすらと緑色の光を放つ何かが生えている。
「光ってる……苔?」
「そうだ。こいつはほんの少し環境が変わるだけですぐに枯れてしまうから、裏庭にこの環境を再現するよりここから採ったほうがいい。他の群生地も見つかっていないしな」
「とても珍しい苔なのね」
「幸いなことにこの苔が必要な薬も珍しいから、ほんの少し採っていけば十分だ」
 そう言って、レオナルドは鞄から|箆《へら》を取り出し、苔を少しこそげ取ると、ガラス瓶の中に入れた。
「よし、次へ行くぞ」

 そうして何箇所かで苔や草を採集しながら、森の中をあちらこちらと彷徨った。アリエルが、もしかしてこれ迷子なのではと心配になり始めた頃、レオナルドはおもむろに手頃な木の根に腰を下ろした。心なしか、息が上がっている。
「いつもなら、これくらい歩き回っても、全然平気なのにな。やっぱり、子供の、体力なんだ、な」
 くったりと項垂れる。アリエルもその横に座った。
「無理しないで、一休みしたら帰ろうか。帰り道、分からないってことはないわよね? 必要とあらば、また来ればいいのだし」
「いや、あと鹿の角だけは、欲しい。クララ様の薬に、必要なんだ」
 レオナルドはかぶりを振る。
「しかし、動物だからな。どこに落ちているか、こればっかりは、分からない。根気よく探すしか、ないんだ」
「それで、あちこちフラフラ歩き回っていたのね」
 レオナルドの息が整うのを待って、アリエルは聞いた。
「ところで、『鹿』ってどんな生き物? とても珍しそうだなってことは分かるのだけど」
 レオナルドはふるふると頭を振った。
「いや、そう珍しい生き物でも、ないけどな。そこらの森の中に棲んでいて、木の枝みたいな角が生えている、わりとでっかい生き物だ」
「もしかして、ケルヴィダのこと?」
 レオナルドは虚を衝かれたような顔をした。
「ああ、この国ではそういうんだったな」
「『この国では』って、もしかしてレオって外国の出身?」
「ああ……そうだな、そんな感じだ。俺が元々居た国では、黒髪黒目なんてありふれていて珍しくもなんとも無かったんだ」
「そんなにたくさん魔女が居たの?」
「いや、黒髪黒目でも魔女ではなくて、そもそも魔法が使えるなんて人間は、居なかったな。俺も魔法が使えるようになったのは、この国に来てからだ。案外、この国の魔女達も、俺と似たような存在じゃないかと思っていたが、この国の魔女達はもっと古くから、この国に居るんだよな?」
「ええ、少なくとも六百年前には居たわよ」
「だよなあ。俺、六百歳ってことはないもんなあ」
 レオナルドは頭をぽりぽりと掻いた。
「そういえば、レオって何歳だったの」
「二十三歳だと思う」
「はっきりしない言い方ね?」
「いや、だんだんと自分の歳とかどうでもよくなってくるんだよな。今の外見はたぶん小学生……八歳くらいだし」
 ふうっと息を吐き出すと、木の根から降りた。
「しかし、鹿……ケルヴィダの角を探すには、悪い季節かもしれん」
 うーんと頭を掻く。
「本来、ケルヴィダの角を集めるなら秋がいいんだが、こんなに使う羽目になるとは思っていなかったから在庫管理が甘かったんだよなあ」
「今は春よね」
「ああ、もう諦めて流れの薬売りから買ったほうがいいかもしれん」
「そういう人もいるの?」
「ああ、割と顔なじみのやつだから、頼めば仕入れてくれるはずだ。高く付くがな」
 ふうっと、ため息をついた。
「帰りにどのくらいの時間がかかるかわからんから、そろそろ帰るか」