一本のバス

 あの日の私はツイてなかった。

 どのくらいツイてないかっていうと、親から隣町の親戚のうちまでお使いをいきなり頼まれた。自転車で渋々行ったら、その帰りに大雨が降りだしたせいでバスに乗るはめになった。しかも財布にお金がほとんど入っていなかった。それに気づいたのもバスに乗ってから。
 学校の帰りに本とかマンガとかを買い込んだせいだけど、こんなこと想定してなかったんだからしかたないじゃん!
 誰か知り合いでも乗っていれば借りることもできるけど、ふだん馴染みのない路線なので、残念ながらそれも期待できない。一応見回してみたけど、案の定知らない人ばかりだった。

 どうしようかと悩んでいるうちに、最寄りのバス停に近づいてきてしまった。
「お降りの際は、ボタンを押してお知らせください」
 という無機質な女声のアナウンスが流れた。
 その時、私はひらめいた。同じバス停で降りる人がいれば、その人に貸してもらえないかと。
 同じバス停で降りる人なら、きっと家も近いはず。すぐうちに帰ってお金を返せば、問題ないんじゃない?

 そんな期待を抱いてみたものの、誰一人としてボタンを押す気配は無い。このバス停で降りたいのは私だけのようだ。世の中そんなに甘くない。
 しかたなく、私がボタンを押した。
 ピンポーンと、無駄に明るい音が無情に鳴り響いた。

 まもなく、バスは路肩に寄り停車した。運賃を用意できないまま、バス停に着いてしまった。
 私は静かに席を立ち、降り口に近づいていく。運賃箱が異様に大きく見えた。でも、その開いた口に投げ込む小銭を、私は持っていない。
 どうしようもなくて降り口のところで立ち止まる。
 運転手さんがいぶかしげに、私を見上げる。
 いつまでもこうして突っ立っているわけにはいかないけれど、それでも私は無一文なのだ。
 かすかに「あの……お金が……」と言ったところで、突然前の方に座っていたおばあさんが財布から百円を取り出して私にくれた。
 曰く、
「困ったときはお互い様、世は情けよ」
 お礼をしたいからお名前をと私が言っても、その人は手を振って、
「百円くらいいいわよ。でも、良心がとがめると言うなら、そうね、同じように困っている人がいたら助けてあげてちょうだい。そして、その人にも同じように言ってちょうだい。そうしたら巡り巡って私に還ってくるかもしれないわ」
 しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして笑いながら、そう言った。

 その後、偶然か必然か、私は同じような場面に出くわした。
 その人はあの時の私と同じような状況だったようだ。そして私は、あの時の老婦人の位置に居た。
 私は老婦人との約束を果たすことにした。
 相手の人は、すごくぺこぺこしてお礼をと言ったけど、老婦人との約束だ。私は同じように、「誰かを助けてあげて」とだけ言って、その人と別れた。
 その日も大雨だったけど、少し違ったのは、雨はいつの間にか止んでいた。
 バスを降りたとき、目の前に大きな虹が架かっていたのを覚えている。
 


 あれから数年の時が流れた。
 今ではあのバスの路線は幸せが連鎖するバスとして、半ば都市伝説化しているらしいと風の噂に聞いた。