一本のナイフ

 ぼくの家のとなりのとなりに、こわいおっちゃんが住んでいる家がある。その家は庭先でニワトリを飼っていた。おっちゃんはいつもおっかない顔をしながら、ニワトリ小屋の掃除をしたり、エサをやったりしていた。
 ぼく達は、そんなおっちゃんの目をぬすんでは、ニワトリたちをからかって遊んでいた。追いかけるとバサバサと慌てて逃げるのが面白い。それから、ニワトリたちがさわがしいのに気づいておっちゃんがオニみたいな顔をしてぼく達をとっ捕まえようとするのから逃げるスリルも楽しかった。

 ある日、いつも通りにニワトリにちょっかいかけに行くと、おっちゃんがいつもよりもっとこわい顔をしてナイフを握って庭に立っていた。いつもいたずらばかりするぼく達に、本気で怒ったのだろうか。
 ぼく達がおびえて入り口の所に固まっているのに、おっちゃんはすぐ気づいた。灰色の目がこわい。

「今日は入ってこないのか」

 不気味なくらい静かな声だった。
 ぼく達がナイフを気にしていることに気づくと、ナイフの持つ方をぼく達に向けた。
「別にお前らを取って食おうってんじゃない。今からニワトリを捌くんだ。ちょうどいい、坊主ども。やってみろ」
 ぼく達はこまって、顔を見合わせた。おっちゃんは、ニワトリを大事に育てていたわけじゃないのだろうか。
「ニワトリ、殺しちゃうの? 大事なニワトリなんじゃないの?」
 ぼくは思わずそんなことを聞いてしまった。おっちゃんは顔をしわくちゃにした。
「大事さ。その大事な命をいただくんだ。粗末にすんじゃねえ」
 そう言って、おっちゃんはぼくにナイフを握らせると、すたすた歩いて行ってしまった。庭の木のそばまで行くと、ぼく達に手招きする。
 木には、二羽のニワトリがさかさまにつるされていた。よく見ると首のところに深い切り口があって、下の地面には、赤い水たまりができていた。
「血抜きならすんでいる。切ってもそんなに血は出ないぞ」
 おっちゃんはつるしていたニワトリをかつぐと、庭のすみでぐつぐつゆだっている鍋にニワトリを入れた。軽く湯がくと鍋から出して、羽をむしりだす。
「ひどいと思うか? かわいそうと思うか? なら、普段から命を大切にしてやれ」
 おっちゃんは話しながらも手を休めない。やがてニワトリはまるはだかになる。ぼく達はそれをだまって見ていた。
「ほら、できた。さあ、まずは足からやってみろ」  おっちゃんはそう言って、ぼくをニワトリの目の前につれてった。
 昨日までおもしろがって追いかけ回したニワトリが、今はもう動かない肉になっている。
 ぼくは半分なきながら、ニワトリの足のつけ根にナイフを差しこんだ。するどいナイフだったのだろうか、思ったよりもあっさりと肉が切れていった。

 全部終わると、おっちゃんはその場でからあげを作って、ひとつずつぼく達にくれた。
 あげたてで熱かったけど、今まで食べたからあげの中で一番おいしかった。きっと、世界一の味だと思った。